トリマーの眼!

凄腕トリマーによるペットに関するコラム
大人気!第18回は…【ムツゴロウさんってどんな人?(ペロペロ編(上))】

私は物心ついた頃から王貞治選手のあの豪快なホームランと美しいバッティングフォームにとても憧れ、母にはいつも「鶴居クラブ(野球部)に入りたい!」と言い続けていたのですが、元々じっとしていることが苦手だった私に、母は大好きな野球ではなく、なんと2つもの学習塾に行くよう厳しく命じました。更に中学入学時には、やはり母が勝手に決めてきた塾を今度は2〜3回で黙ってやめてしまった為に、それからはもう家に居ること自体が苦痛で仕方なく(恥ずかしい話ですが)中1の冬にはワルの仲間達とつるんで日没後の中津駅の高架橋の下で補導されるまでになりました。反面、動物が大好きで、その頃はムツゴロウさんの番組(ムツゴロウとゆかいな仲間たち(1980〜2001)にとても興味があったことが今も懐かしく思い出されます。 その後、私が16歳の時、(特に勉強に関して)スパルタ式だった母が突然、交通事故で亡くなり、それまで強制されウンザリしていた読書を自然とするようになると、皮肉なことに学校の成績までがスッと上昇した記憶があります。そして、高校卒業後、同級生280名の中で、ただ一人、私は一般入試からの大学受験を目指し北九州で浪人することを決めました。当時、大手予備校の(主に医学部や早慶などを目指す学生達の受ける)小論文模試だけはなぜか最初からA判定が出ていたこともあり、案外、独学の方が勉強の効率がいいのでは?と勝手に決めつけ、それ以来、予備校にはほとんど行かなくなりました。そしてその代わりに北九州市の市立図書館に籠りきりになって暫く受験勉強を続けていたのですが、当初は、すべての科目は整然とした階層構造をなしているなどとはまだハッキリとは知らずに、常識ある方ならば誰でもすぐにわかるような「理想と現実のギャップ」というものには全く目もくれず!勝手に最難関の医学部を第一目標としました。しかし、勿論すぐにその試験問題の内容とあまりの科目数の多さから、当然のことながら現実の厳しさをイヤという程思い知る事となり、それ以来、では、これから自分はいったいどう生きていくべきなのか? という大学進学以前のもっと根源的な問題で非常に思い悩むようになりました。そして、それからはもう、むさぼるようにして松下幸之助さん(1894〜1989)(1964年、アメリカの著名な雑誌「ライフ」は、松下幸之助先生のことを「最高の産業人」、「最高所得者」、「思想家」、「雑誌発行者」、「ベストセラー作家」の五つの顔を持つ人物として一面トップで取り上げています。)がお書きになられ、当時の松下電器(現 Panasonic)から北九州市に直接寄贈されていた膨大な数の松下幸之助先生独自の「経営哲学」や「人生哲学」などについて非常に克明に記されたまるで百科事典のような立派なご著書の数々(松下幸之助発言集)などを次第に読みふけるようになっていきました。(実はこの北九州での私の特異な体験は、後に、あの松下幸之助さんとは実の親子のように公私ともに非常に深い親交を長年に亘って築いてこられた(当時、京都商工会議所会頭で松下政経塾理事も長年務めておられた)ワコール創業者の塚本幸一さん(1920〜1998)から(実は、私は直接(株)ワコール本社(京都市)に一人でお伺いして)塚本幸一さんご自身の壮絶な戦争体験(インパール作戦の激戦)を生き抜いてこられた奇跡的な強運の中から生まれた「人生哲学」や「経営哲学」などと共に、(故)松下幸之助さんの次世代の若者達に対する深いお考えなどを、実に52年もの年齢差を越えて1対1で詳しくご教授頂くという大変有り難いご縁へと繋がっていくこととなります。)(次回に続く。)

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前田 勉
2002年、福岡市博多区でJKC公認トリマー資格取得。2003年、地元である大分県中津市で「まめたろうペットホテル&トリミング」を開業。以来「ワンちゃんが、ホッと安心してくれるトリミングの方法があります。」をキャッチフレーズに、多くのワンちゃんたちの幸せと健康のサポートに努め、飼い主さんからは「まめたろう先生」と呼ばれ親しまれています。常識にとらわれない、やさしく丁寧なトリミングの方法は、今も進化を続けており、多くのファンから支持されています。趣味は、読書、乗馬。